そうか、決めきる前に、ふと「自分の感覚なんてどうせ。。」と思って、他人の意見を採用してきたからだ。

自分では、決めてるつもりだったけど、決めきれてなかったわ。

 

とりあえず、正しいかどうか分からなくてもこれだと決めきり、

試し行動をしてみて、

その結果何か湧いてくるか待ってみる

湧いてきたものが自分にとっての真実で、頭を使って既存の語彙から引っ張り出してきた言葉は偽物である。

 

そう理解はしながらも、どうしても行動できなかった。

 

とりあえず、決めてるつもりなのに、ぶれる。

 

そこには、いつも、決めきる前によぎる「私の思うことなか絶対正しくないし、なんの価値もない。人に表明するものではない」という気持ちだ。

 

何かの裏付けがないと正しい訳がないと思ってきた自分には、

努力あってこそ成果が得られ、

頑張ってこそ得られた学歴や職歴に信頼性が寄せられ、

人に選ばれたということでパートナーシップ・人間関係での価値が与えられると思ってきた。

 

そもそも、なんの裏付けもない、ただ私のなかから湧いただけの思い、など、どうやって表明できようか。

 

笑われるに決まってるわ。

どうせ否定される。

どうせ脳内お花畑といわれるわ。

 

そればかり。

 

で、結局、予定調和に落ち着きそうな結論をどこからか拝借してくる。

自分の人生に荒波は立たないけど、目に見えないうちに、たくさんの塵がつもって、知らない間に息ができなくなる始末。

 

昨日、Tさんと話してて、結局は、なんかしらんけど湧いてきた自分の思い、だけが正解や、と言われて、よく考えてみたら、私は、そこまで達したことがなかったな。

 

なんとなくぼんやり思いは持ってるけど、絶対に外に出すわけない前提で感じてるものだし、どうせ、どうせと思いながら見てるから、自分ふぇもフィルターかかりまくって、もう見ようとすることもめんどくさい。

 

すべてが違和感。自分の行動の結果だけど。

 

だから、まず、仮説を決めきるときに、湧いてくるどうせをスルーすることだ。

 

で、決めきって、行動してみる。

 

それを毎週日曜日に振り返ってみよう。

 

あーひたすらなんもしなかったら、少し自分を客観的にみられた。

やっぱり、人に話すのは重要。

 

奇跡はいつもふたりいじょうで、というだいちゃんの言葉が心に響く。