【327】憎むことを許す
深夜に怖い思いをして、警察に来てもらった。
私は、何事も、自分が弁護士になったら、につなげて考える癖があって、そのせいで、物事をありのままに感じられなくなっていることに気づいた。
犯罪行為を行う人にも理由がある。とか
行為を憎んで人を憎まず。とか
ニュートラルでいることがよい。とか
善悪はない。とか
それはいつの間にか私の中での「ねばならない」になって、
気持ちいい言葉を吐いている割には、腹の中はとても気持ち悪かった。
私の考え方や方向性は、法曹としてとても理想的ではないか、と頭で思う一方で、何かが決定的に欠落していると感じていた。
それは、憎むことを許していない、ということ。
私は、ニュートラルであるべきだと思うことによって、憎むことを悪だと思ってた。
恐らくわたしと関わる人は、憎むことを許されない、という強迫的なメッセージを受け取るだろう。
恐怖から、悪を消そうとしていたから。
でも、昨日のことがあって、私は、ほんとに恐怖で、ほんとに憎くて、人の平穏を害する行為をする奴が許せなくて、身体が震えていた。
そして、女性警察官の方や、仲間たちから、怖いと思って当たり前、憎いという気持ちを感じ切ればいい。と包み込んでもらえた。
それはとても安心感を得る体験だった。
感じ切らずに悟ったような気になっても暴力的にしかならない。
感じ切った後には、ただ「なんでもあり」という軽さがあるように思う。
私は、なんも感じることを許してなかったんだね。怖くて怖くて。
だから、法曹として・・とかいうの置いといて、ひたすら感じきろうと。
私は、依頼者の人に、憎むことを支えられる人でいたいな。
正しさやフェアネスなどといったことではなくて、そのあるがままを、そうですか、といえる法律家でいたい。
と。また法曹になったら・・議論になっている。
昨日、「もし~~だったら、逮捕は難しいかもしれないね」とひょんなことから言われたのだが、それ、別に言わなくてもよかったわ。
「構成要件に該当しないかもしれないから。」とか言ってたけど、該当するだろう。
ちゅーか、法律は人を護るためにある。
それを、人を護るために使えない人は、私は好きじゃない。
被疑者の人権とか、今は考えたくない。そんなものを、頭で理解しようとするから、感情が腐敗する。
なんのために法律があるの?
私、人と深くかかわるのが怖いから、知識に頼ろうとしてたんだな、って感じた。
人と関わるんだ。という意思があれば、知識に負けることなどありえない。
怖い思いをしたとき、「あーもう刑事事件なんかやっぱり私には無理だ。私は平穏に生きたい。頼むからもうやめて。あー身の程知らずで私にできることがある、なんて思ってたけど、ないわ。全然ないわ。ああ、そそくさと退散しよう。」と思いました。
でも、私は、憎むことに埋没したまま終わりたくない。という気持ちがわいてきて。
この状況を美談や悲惨な話として片づけるのはやめようと決めた。
感じきる。叫ぶ。出す。
憎むこともよい。なんでも選んでよい。
それから、いつものことながら、私の上司は、「何もできないけど心配なので、状況をメッセージしておいてください。」と。こんな上司になりたい。いつも思う。信頼とは、やみくもに何かをしてあげて築くものではなく、ここぞというときに、本当の状況を相談できる人だ。ただ心配だけする人には、心配させると思って話せない。適正距離を持っているからこそ、信頼されていると感じ、どんな状況もそうなのかと聞いてもらえると確信をもって話せる。