拗ねてたのでも拗らしてたのでもなんでもなく、ただほんとに思ったことと違うことを言ってただけ。

今日は、ファッションコンサルだった。

 ファッションにお金をかけるなんて・・・

 勉強しろよ、もっとやることあるだろ、等の雑音を置いておいて、渋谷までいってきた。

 

話してた中でびっくりしたのは、標題のことを言われたとき。

 

私は、ただ、違うこと言ってただけ。思ってないことを言ってただけ。

拗ねとか、自分を欺くとかそれっぽいことばでごちゃごちゃにしてるけど、私の本音はずっと心にあって、ただ、それと違うことを表出させていただけ。だから、それを言えばいいだけ。とってもシンプルだ。なんも深刻じゃない。深刻だと思いたいから、問題を引っ張りだしてくるだけ。

 

私は、善も悪もない、という世界で生きたいのに、結局、自分が善悪の世界でペンディングにして中途半端にしてるもんだから、心にあることを言うことを躊躇してただけ。善悪がまだ心のなかにがっつりある自分もOKなのだ。

 

もう芯は決まってる。

日々、また、それっぽいコーティングされた思ってることと違うことを口にしてしまったとしても、あーまた言ってるねーって見てればいい。

 

恐怖から、頭でひねり出したそれっぽい時間をやり過ごしても、それでもいい。

そんなときの顔は、こわばっていて、ガラガラさんみたいだ。それでもいい。

 

なんかしらんけど、かならず、現実は変わっていく。

なんの根拠もないけど、そう確信した。

 

綺麗を磨くことも大切だし、その取り組み(メイクとか)の中で気づくこともたくさんある。

でも、何より大切なのは、私の肚にあるこの芯を、発言することだ。

 

そう、ただ、「発言されてなかった」だけ。

分かってもらえないんじゃない。ただ、「表に出てなかった」だけ。

それを、人に理解してもらえない、って思ってしまってただけ。

ただ、そう思ってただけってこと。

 

そして、言ってみて相手がどう反応しようと、期待してた反応を得られなくても、

それは相手のテリトリーのこと。

 

会って話しているうちに、自分がとても心もとないと思っていた自分の信念が、「やっぱりそうだ、やっぱり私はこうありたいんだ!」ってどんどん強固になって、ああそんな出会いが、どこにあるか分からないのだな、と知って、とてもうれしかった。

 

そして、こんな人に会いたいって思ってた人に会えそうな気もしてきて、「そんな人に出会えるわけがない」も嘘だとわかった。

自分が自分の思いをそのままに生きられない言い訳がどんどん剥がれていく。

自分が、この世界しか見ようとしてなかったから、その世界だっただけ。

世界は、ただこの地球のひとかけらをみせてもらっているにすぎなくて、人間はそのなかを循環してるだけで、それを人間が善とか悪とか裁くのとかって、とてもおこがましいと思うんだよね、という話を聞いて、そうだよなあと思った。

 

ルールとしての法における善悪と、本質は違う。

 

私は、どちらにも、目をそらさずいたい。

それが私の生まれてきた世界だと思う。

 

どんな行為にも理由はある、と私は思う。

その行為に悪を押し付けて溜飲を下げることも一つの選択肢。

でも、私は、そうはしない。単純に、そう思わないから。

  

ファッションコンサルは、まずクリスマスツリーみたいな服を抵抗感満載で着てみたら、意外といけて、他もぜんぜんいけて、なんだ、領域なんていくらでも広がる。

なんだ、だめと思ってたことは、そう決めてただけだったんだ。

そう思った。

 

大人の女とか、おしゃれとか、TPOとか、美とか、なんかもうあれこれいい。

「わたし」でいる。というだけ。

他人と違わないわけがない。