自分を導けないのに、誰を導くつもりなのか。
「こんなに不完全でも楽しく幸せに生きる」ってことを伝えられたらいいなあ
それに尽きる。
人に更生を求めて、人生やり直しを求めて、これまでのあんたの考えはまちがってたんだって、まるで今の自分みたいに受け入れないといけない人に対して、
「なんのために?わたしはもう生きたくない。頼んでないのに生まれただけだ」と言われたら私はなんていうんだろう。いつもそう思ってた。
頑張って試験を乗り越えたとしたら、頑張らないとほしいものは手に入らない、という強烈なメッセージを自分に残す。
というか、それ以外にない。
そら、具体的には頑張るに近い継続的作業は必要なのだろうが、それは、自分の恐怖や弱さをめんどくさいからごまかすためのものではないという趣旨。
で、唯一、そういう人に言えることがあるとしたら、
私はこんなに不完全だし、こんなにだめだめだけど、こんなに楽しく生きている。
事象に善悪はない。他人がいかに裁こうと、いつも自分自身はここにいる。
それくらいじゃないか。
それでも生きたくないといわれたらもう言えることはないだろうけど、別に言う必要もない。
そもそも、私は、弁護士になったら、誰も救わない。救えない。救わない。
ただ、いつか、私のような変な弁護士に会ったことが、彼/彼女のいつかのなんかの幸せのスイッチに繋がればいいなあ、って思うだけ。
しかし、エネルギーレベルが落ちてきたら、誰かをなんかしたくなるんだけど。
人を変えることなどできない。
たとえ、その中で扱っているものが命であったとしても、
他人が、他人の人生を背負うことなどできない。
ただ、関わるだけ。
だけど、ただ関わる、が死ぬほど難しい。怖い。死ぬほど怖い。
でも、それに挑戦することが、私らしさを最大限に活かすことならば、やる。
怖いな。まだそんなこといってんのか。