緩めること。
衝撃的だった。
GWに、ずっと気になっていた先生のバレエ教室にいってきた。
「緩める」
ずっと逆をしてきた。もっと頑張らないと、もっと筋力をつけないと、もっとおなかに力を入れて、姿勢よくしないと。それは、逆だった。
力を抜く。内側の軸だけでいい。
外側で頑張ることは簡単。筋力をつけたり、いろいろ。
でも、そうじゃない。
そして、私の姿勢が必要以上に、誰よりも反り返っていて、力が入っていて、
前屈もできないし、骨盤も立たない。それは、開脚ができないからではなく、
力を入れすぎていたからだ。
死ぬほど頑張ったけど全然変わらなくて、いたたまれなくなってやめたあの日々は、
自分の恐怖と、現在の自己否定からくる、余計固まりを強固にする行為だった。
だってね。美しくなるために、やってたんじゃないもの。
今思えば、恐怖から。
正しくあらねばならない。
そう思って、型を学ぼうとして、身体を削ろうとして、結局ガリガリになったけど、それは見た目だけだった。
今になって、それも踏まえて、「緩める」ことなんだと、やっと理解できた。
バレエは、人生を教えてくれる。
今日は先生に昨日と変わってない!って怒られて、とても心に残った。
学びに来てるなら、つかみ取る意欲がないとだめだと言われた。
この姿にショックだと言われた。
私のこれまでは、すべて、何となくだったんだな。
何となく、正しそうなものをまねて、型を取り入れて、安全を手に入れようとしてきただけだったな。
今日、Tさんと話してて、とりあえず決めきって試し行動して、その中で湧いてくることが正解や。その前に既存の言葉を引っ張りだしてくるからあかんのや。また、決めきる前にぶれたらあかん、とも言われて。
ほんまに、私って、なんも意思なかったな。
固まってたから。怖くて、怖くて。間違うのが怖くて。そして、型を失ったら、誰も正しいって言ってくれる人がいなくなったら、一体何を道しるべに決めればいいのか分からなくて、そんなことやったこともなくて、怖すぎた。
でも、自分の感覚、だけだ。
怖すぎるけど、それがすべてで、それが始まり。
それを信じるに値するものだと無意識に伝えることから。
ああ、めんどくさいね。ああつらいね。
なにやってきたんだろうね、いろいろ苦しんだのにね。
でも、それしかないんだな。
孤独だって?
ほんまに一人か?
一人だってことを問題化して、また逃げようしてるだけちゃうか。
ああ、怖い。何に決めよう。とりあえず、何に決めよう。
みんなすごいなあ。あーまた人を出してきた。違う違う。
自分自分。裁かない、裁かない。
めんどくせえ。