本当の問題はそれじゃない。そのことをシンプルに伝えるための道具をそろえる。

昨日、なっちゃんのクラスにはじめて参加して、すごく、腑に落ちたこと。

 

それは、私のこの世を見るメガネがすべてを創っている(投影している)ということだった。

 

投影という言葉は最近いろんなところで目にしていたし、そうなんだろうなあ、でも現実は現実だからさ、とも思っていた。

法律の世界では、そんな論拠もないこと言えるわけないよ。とも。

 

だけど、うまく言えないけど、現実は違う、という現実をも、自分が選んで創っているということなのかもしれない、と思った。

 

その現実を選べば、その現実のせいで自分の思いは実現されない、ことにできる。

こんなわけのわからん思いとかなんとか、友達に口にするのも憚られ、アホと思われる、また「君はロジカルじゃない」と言われる、誰にも聞いてもらえない、信頼してもらえない・・とどんどん出てくる恐怖。

それをスルーすることができる。

 

だけど、その自分が感じることを「なかったこと」にしたら、私には何が残るのだろう。

私には、何も残らない。

それ、こそが私だった。

 

分かってもらえない、と不安になることさえも、その大前提として、「誰かをコントロールする」ことが入っている。自分が説得して、論理的に証拠を示して、相手の考えを変えさせる、相手に自分の考えを受け入れさせる、相手に間違っていたよと言わせる、そんなことだ。

 

だけど、たぶん、そうではない。

 

間違ってるのは私。

私のメガネを変えて現実を見たときに、何が変わるのかも試してないくせに、外側のせいにしているのは私。

そう気づいたら、誰を力づくで小賢しく説得することも不要なのだと、理解した。

 

なっちゃんは、ホオポノポノというものの例を出して教えてくれた(うろ覚えだが)。

 

ハワイの刑務所にセラピストとして派遣されたある人は、着任後も、日々、歩き回ったり、テニスをしたり、ひとりでぶつぶつと唱えたり、全然受刑者のセラピ―をしなかったそうで、受刑者からの声として「全然仕事をしないセラピストが来た」みたいな記録が残っているらしい。

 

その人は、「自分自身の思いが間違っているから、自分がこの世界をやめることで、この世界を変える」という極めて自分軸の在り方で、上記のように一見遊んでるみたいに過ごしていたらしい。その結果、受刑者は次第に変化していき、最終的には刑務所が不要になった。

 

という話。まあ、うろ覚えのうえに、外国の話で、どこまで本当かは分からないが、私が言いたいことは、その事実の有無ではなく、私の感性が、「そうそう」って感じたことだった。

 

私は、どこかで知っている、というか。分かってる。

ただ、それを実現していくだけの勇気がないだけ。

アホ扱いされることを恐れ、その過程で多くの人に嫌われ、多くの人に迷惑をかけ、駆逐されることを恐れているだけ。

 

私は、自分が変わることで、世界を変えようと決意した。

 

私がいいたいことは、「本当の問題はそれじゃない。」ということ。

 

お金の問題、男女の問題、職場の人間関係の問題、家族の問題、自分の能力の問題...etc

 

それはただの事象。その重大性を軽んじるわけではないけれど、それのせいで自分が不幸なのではない。

 

でも、それも、今の自分には観念的にしか言えないことだ。

自分が実際にやってみたわけでもないから。

 

だから、私がその奇跡をまずは生きてみよう。

 

道具は、目の前の人と、ただコミュニケーションをするために、自分が使えるものであればいい。

 

法律の勉強が進まない、できない、能力がない、受からない、論理的でない、何度読んでも理解できない、ピンとこない、覚えられない。

そう思っていた、私の「問題」は、それを問題と思っていたからだ。