母との対話~「お言葉に甘えて」でいこう。

今日、母に電話して、今回は試験を受けれなかった、と伝えた。

 

電話するまでに、何度も考えて、どんな風に心配されるだろう、ああああ、を何度も繰り返しているうちに、「ああ、私は、母に認められるために、母を安心させるために、今までいろいろやりくりして、行動してきたんだな。それが今も続いてるんだな。」と深く理解した。

 

自立できていない、という言葉はとても自分には耳が痛くて、

経済的には一人でやりくりしていても、一人暮らししていても、そうではないということがどこかで分かってた。

 

親の承認を要し、親を悲しませたくないと過度に考え、親にどう説明するか、親がどう思うかに自分の判断を揺るがせることは、すなわち、自立できていないことだ、と最近理解した。

 

そして、今日、それを改めて体感した。

具体的に、こんな風に、親を自分の人生の真ん中に置いたままなんだね、って。

 

親に伝える必要もなかったかもしれないけど、

きっと毎日お祈りとかしてそうだし、まあ、電話して、伝えてみた。

私は、人に頼りながら、もうゆっくり生きていこうと思うよ、と言った。

 

意外に、「安心したわ」といわれた。

頑張りすぎてるあんたが理解できへんかったけど、ゆっくりがええよ、といって

いつもとは違う、穏やかな、エネルギーの高い会話だった。

 

そうだ。やっぱり、親が悪いんじゃない。

私のエネルギーレベルが低かったからだったんだ。自分で自分を整え、いたわり、内観して、大切にして、責めずにいたら、おのずと、自分に必要なものが与えられ、強がらなくても道が開ける。

 

私はそうやって、「お言葉に甘えて」、人から助けてもらって、自分が自分の力を発揮しながら生きていこう、という話をしたら、

おかんが、私もそれでいくわ。といって、会話が終了した。

 

おかんはいつもネガティブで、今もガンが進行していると思い込んでるけど、

思ったより日常を楽しんでて、私が自分の低いエネルギーで、親をああだこうだ裁いているだけだった。

 

大丈夫。私が、本音で、腹丸出しでいきてたら、周りの人もおのずと、穏やかに幸せになる。そう体感した。

 

試験で合格しない娘なんか恥だと思ってたのは、私だけ。

母は、私に幸せでいてほしいだけだった。

私も、私に幸せでいてほしいだけだった。

勘違いしてた。

もm