【357】球児
今日、彼が、クローザーとして出てきた姿を見たとき、そして、その音楽を聴いた時、涙があふれ、そして、ある先生のことを思い出した。
もう、別の学校へ行ってしまったけど、とても熱くて、静かな、嫌な奴と思ってたけど、ほんとはとても優しくて、そんな先生。
法律はどれも意味不明だったけど、最も意味不明だったのは行政法だ。
先生の授業は外国語にしか聞こえなかった。
私は単位もかろうじて・・という感じで、いつか行政法が分かる日が来るとは1ミリも思えなかった。
今書きながら思い出したが、2年の終わりか3年の始めの先生の授業の試験で、私は中間テストで3点くらいを取った気がする。たしか30点満点。
その後、期末で何とかしなければ単位が!と思って、ひたすら行政法(というか試験対策)をやった結果、なんか期末試験はよくできたのだった。
そしたら、先生は、期末試験の講評を終えて、私の席のところまできて、「お前、頑張ったな」みたいなことを言って、去っていった。
嫌な奴だったはずなのに、良い奴だった。
あれが、何かの欠片の始まりで。
私は、自分が「できない」と決めているだけだったのかもしれない。
先生は、法律は凡才でも努力でなんとかなる学問だといった。
ごちゃごちゃいってないで勉強しろといった。
腹をくくれといった。
色々言ったけど忘れた。
先生とは、阪神の話もした。
今日、球児の姿を見たとき、かつて先生と、藤川の球はストレートと分かってても打てない、という話をしたことを、ありありと思い出した。
そして、私は、とても大切にされていたし、
私は、信頼されていたし、
私は、なんとでもできる場所にいるのだと思い出した。
ただ、自分が「できない」と決めることをやめると決意するだけだ。
ひたすら何もしない、をした結果、何かやることに罪悪感のようなものや、
何かを頑張ったらいけないような気もしてきていたけど、そうじゃない。
ひたすら何もしないをやった結果、
私は、全力で自分に挑みたいのだということを、知ったのだ。
誰のせいでもないし、
誰が助けてくれないせいでもないし、
誰がすごすぎるせいでもないし、
ただ、私と私の命をかけた一騎打ちであり、まぐわい。
こんな風に生きたことない。
未知の世界。
なぜならこれまで、ずっと人のことにエネルギーを使ってたから、
全力で自分にかけるなんてしたことがない。
今日も会社で、他部署の人にすごい剣幕で言われたとき、すごく動揺して、
怒られるのはいやだとか、私はやっぱりだめなんだとか、できないやつとか思ったけど、冷静になれば、彼はもともと怒ってただけだった。
人が怒るのは私のせい、という思考回路を一切やめる。
違うし、もしそうだったら謝るだけ。
それは今の上司が教えてくれた。
正々堂々と謝罪する。
そう決めれば、他人に怒られるかもしれない、という不安に自分の人生を使うことがなくなる。
私は、どんなに転んでも、この自分を生き切ってみせる。