【326】朝からバレエ

昨日もまだ身体がこわばっていたし、気分もハイではなかったし、なんせ朝は得意じゃないので、キャンセルしようかなとちょっと思ったけど、だからこそ今行くんだなと思って、行ってきた。ずっと会いたかった先生だから。

 

ああ、楽しかった。身体がもっともっと動きたいといっている。

 

技術がないとか、身体が硬いとか、骨盤が後傾してるとかいうのはただの事実で、あのね、私は、踊りたいんだ。それを、ただ表現することを後押ししてくれる先生。バレエが大好きな。

 

それは、私が「そんなこといってもしょうがないから」「私が今ここでこんなこといったらだめだから」「そんなしょうもないこと発言すべきでない」「こんなことやりたいっていっちゃだめ」「ちゃんとまっとうに生きて」「人に迷惑かけないで」「ほめられるように動く」そんな呪いをずーーーーーーーーーーーーーーーっとかけ続けてきた間に、腹の底の底に押しやってしまったあらゆる感情や歓びや怒りやいろんな生命そのものを、さあ出していこう、という狼煙のような場所であった。

 

合格するまでやっちゃだめ。

やるにしてもストイックに、ほら、筋肉、柔軟、ステップ・・ちゃんと。ほら。

 

そんな人生もういい。もう飽きた。

 

今日のレッスンで印象に残ったこと。

・できなくてもとりあえずやってみる。

・ほわーんと動くんじゃなくて、パッパッと決めきる。その時々で、決めきる。そこからまた修正する。

・バレエは型があるからこそ自由になれる。だから美しい。

・そのことがうまくできる人よりも、そのことを大好きな人に習うと自分も大好きになる。

・リズムをつけて身体にしみこませる。

 

ああ、勉強といっしょや。と思った。

 

私の毎日の勉強は漠然として、ぼやーんとやって、終わる。だから次もぼやーん。

 

舞台で自分の生命を表現する。

法廷や書面上で、この世の生命を表現する。

世界のいろんな場所で、この世の生命を自分の言葉で表現する。

 

それは、おなじこと。

 

そのために、毎日の地道で地道で地道な積み重ねがある。

 

試験のためにバレエは余計なこと、と今も頭は思ってしまう。

だから、我慢して、やりたいことやらないで、漠然と机の前に座る。

集中できないけどとりあえず椅子に座って勉強らしきことをした、という事実に安心しつつも、どんどんモヤモヤが募る。

でも、ほんとは全部おなじ。その中で、今はどの作業を優先するか。

そこをもっと腹に落としたい。

 

そして、最近までずっと、自分の思考の癖を見つめてきたけど、もう一人でそれやるの、頻度減らそう。

例えば、人と比べて・・あ!また人に自分の恐れを投影している、ああ、見つめてみよう。。みたいなの。

もちろんその作業は必須ではあると思うけど、それだけじゃない。

 

やっぱり身体を動かすことの威力はすごいし、人と話すことの威力もすごい。

だから、自己内省もほどほどにやって、後は周りの人たちにお任せの部分を増やしていこうと思う。そんな仲間、少し前まではいなかった。でも、今は、自分を信じようと決めてから、少しずつ、現れた。ほんとは前からいたのだろう。でも、私が自分自身の設定を「ふさわしくない」「だめ」「いやなことが起きる」「愛されない」と決めていたから、仲間が見えない世界を生きる選択をしてただけ。結局、自分が決める。腹から決める。

 

うまくいえないが、今までは、人と出会ったり、人とのかかわりの中で何か気づきがあっても、その欠片を持ち帰って、「ありがとう、あとは自分でなんとかするわ。」って最後は自分の思考に利用してただけだった。だから、結局変わらなかった。人とたくさん関わっても、変わらなかったのは、最後の最後まで開くことを恐れていたからだと感じた。

 

自分を信頼していない。だから、人のことなんかまったく信用していない。

自分が自分を傷つけるから、人は自分のことを傷つける、が確固たる前提だったように思う。

 

だから、私は、「あとは自分でなんとかするわ」をやめてみようと思う。

はっきりいって、結論なんかなんだってよくて、予測することも無理なんだから、結論こそ、流れのままになんだと思うようになった。大切なのは、そのプロセスで自分の本音を出すこと。プロセスにこだわること。

 

いつも、悟りきったようなこと(結論)ばっかりいって、本当はプロセスを1つ1つ見つめるのが、開示するのが怖かっただけなんだ。