美しい文章、読んだだけでとろけるような。

私の夢の1つは、自分がそんな文章を書けるようになることだ。

 

こないだ、ずっと憧れていた学者の先生と仕事で会うことができて、その謙虚かつエネルギッシュな姿勢や頼まれたことへの全力投球ぶりに圧倒された。なんなんだこの人は、こんな人が存在するのか!と言葉にならなかった。

 

なにより、一番ショッキングだったのは、その先生の書く文章。

 

言葉で表現できない、どうやったってかなわない、自分と同じ日本語を書いているとは思えない、そんな情熱的かつ圧倒的な美しさだった。

 

私は、これまで仕事でいろんな形式的なメールや文章を書いてきたし、それが建前であっても、人の気分を害することはないだろう、社会人としてまっとうな文章を書いているだろう、とどこかで舐めていたと思う。言葉を舐めていた。こんなもんやろ、と。

 

でも、あの先生の文章は、ただの事務メールであっても、なんというか、もう胸がいっぱいになって。自分がどんなに頑張っても、取り繕っても、10時間かけても、あんな文章を書くことができない、とひれ伏したい気持ちになった。

 

そのことをまた、理解できず、言葉で表現できないのが、私の実力の限界なのだと思う。

言葉への真摯さの欠如。

何てこった。

感動したものを表現できないで、一体なんのために言葉使ってんだろ。アホなのか。

 

すごい人は、本当に精緻で、丁寧で、神経が研ぎ澄まされていて、全力で、対等で、研究熱心で、美しい。とにかく、美しい。

 

心底感動した。

ただの事務メールに、心から感動した。

すげえや。やっぱり、すげえ。

法律を扱っている人は、文章が分かりにくいとか、難しい言葉を使うとか、全部嘘。

あの先生は、誰よりも分かりやすく、誰よりも、しなやかで、文章がダンスのように、舞っている。言葉を、本当に大切にしている。それだけは、よくわかった。

 

あんな文章を書けるようになりたい。絶対なりたい。絶対なる。