誰のためでもない、自分の表現
少し前までは、なんだかよく分からない「使命」らしきものがあると思っていて、
私は法律家になって、何かやることがあると、あるはずだ、だからならなければならない、そんな風に思ってた。
ふと、昨日今日で感じたのは、ずいぶんそんな思いが薄くなったな、という感覚。
誰かのために、何かを変えるために、あの事件をどうにかしなければ、あの問題を提起しなければ、そんなこと、あたしには関係ない。
っていうか、どこかにありそうな問題を持ってきて、さあこれが問題です!なんとかしましょう!なんて、おかしすぎるやろ。
お前、ごまかしとんちゃうぞ。お前の生はどこにあるねん。お前、ほんまにそんなこ思ってるんか。お前の本気ってなんやねん。
そんなことやと思う。
私は、自分の中のエネルギーや、自分の生を生きるということに、興味を持ち始めた、というか、
それ以外に何がある?
誰かに何かを分からそうなんて、ほんとは全然思ってなくて、
その何かも、別にどうでもいいことだった。
あたしは、ただ、この魂を表現したいだけ。
それに人が何かを感じ、何かが生まれる。それだけを目指している。
昨日、和太鼓のライブを見に行って、
腹の奥から、うおおおおおおおと湧いてきたんだけど、
それは彼らが本気であったから、太鼓などやったこともないわたしに響いた。
だから、私も、自分の表現に本気で取り組む。
その循環を、作っていく。
太鼓は動きもあって、迫力もすごいけど、私の表現は暗くて、型にはまってて、投げやりで、とか思いやがって、なんだよ。やる気あんのかよ、と自分で思う。
あーうるさいな。やれよ、いいから。
で、一緒に見に行った友達と、バカみたいにげらげら笑う。
バカみたいにげらげら笑う、が人生には必須だ。
悩むなら笑え。考えるなら感じろ。自分に今一番いいたいこと。