【過去の記憶を訂正して、忘れる】

以前から、私がすることは反対される、誰にも応援されない、私は何事も成し遂げられない、などという思い込みがあった。
そのことはとても非論理的なのに、強烈に自分の中にあったもの。

しかし、私は、誰にも反対されていない。
安心感のなさを、外の要因のせいにすることは、もう飽きた。

私は、誰かを反対者として悪者にしたり、自分を下に置いたり、卑下したり、できない人間、と決めつけることで、ただ自分が試したいことを試したい場所で堂々とチャレンジすることへの不安を感じずに済ませただけだった。

私の願いは、この世界の現実の中で起こる(今の自分からは想像もつかない)様々なリアルな出来事に、限りなく先入観を排して対し、法律の知識を使って、その状況に立ち会うことだ。
しかし、そういいながら、今の自分が数えきれない先入観の呪縛で身動きが取れなくなっていることを挙げて、自分の願いはあまりに非現実だと考えた。その位置に5年くらい居た。

論理性、知識の欠如、視野狭窄、柔軟性がない、頭の回転が遅い、戦略がない、事務が出来ない・・・って諦めるための自己説得?

仮にそれらの道具が必要なら、何とかしてやってやる、だろう?

私は、だれかが決めた善悪というレンズを通さずに、人に出会いたい。

例えば、自分の思考は今、「平和」というものを良いと考えていて、それはある程度まっとうな論理だと思うが、もしかしたら私が無意識的に実現しようとしているのは、今の常識からしたら非常に逸脱していることかもしれない、という恐れがある。
それでも、その状況になる前に自主規制するのは無意味だし、バカバカしい。

在りたい姿、見たい景色、味わいたい感情を暫定で置き、やってから、考える。

やらない理由がない。
これまで唯一の?理由だった、人に反対されている、というのも勘違いだしね。

私は何かが成し遂げられる人間だからそれをするのではなく、それがしたいからそれをするだけ。

いい加減な記憶に縋って自己否定してたことすらも、流して忘れたらいい。