決めてなかった。意思がなかった。合わせるだけ。だから私のエネルギーは出てない。だから誰とも呼応しない。決めろ。

今日、初めて行く訪問先で、あーやっぱり政府の仕事って、スケールが大きくていいなあ、と思った。

私は権力が好きだ。目立つものが好きだ。すごそうなものが好きだ。今日は永田町を歩いてて、どっかで見た政治家が立ってた。オーラがあった。どうせ批判されるなら、オーラがあって批判されたほうがいい。無害を装ってなんも色がないよりはずっと。今の自分の結果的無色さ装いにはもう怠慢への憤慨しかない。

 

でも、私の言葉はでてこない。上司は相変わらず横ですらすらとしゃべってるけど、私は言葉がでてこないで硬直している。

でも、それでいいと決めた。ゼロサムをやめた。そんな状況でも、私が言った言葉のうち1でも、自分の内から出てきた言葉があれば、それを育てよう。それをもっと増やそう、そう考えればいいと決めた。

 

それが本当に自分に不要だと思ったら、その環境を去る。それだけ。行動なんだ。行動のなかで、いかに自分が決めきれていないかを知る。いかに自分の意思がないかを知る。どうやったら、自分の意思が表現できるか工夫する。そのために生きている。それが今は、1日のうち、0.0000000001くらいしかない。なにしてんの、って感じ。

 

でも、先日の修行にいってから、自分の意思のなさ、決めてなさを、実感できるようになった。これまで、死んだ魚のように作業を繰り返してただけで、人から逃げてただけだったんだな、と感じるようになった。

 

最近、退勤後に、二駅ほど歩いている。そうすれば、多少は痩せるかもと思うし、その間に好きな男から連絡がくるかも、と思ったりもするからだ。

でも、どっちも違うんだな。

駅について、トイレにいって、カバンをぶらさげて、便座に座ってみたら、自分の目線のところにそのかばんがぶらぶらして目に入った。

 

すんごい剥げてる。

 

わたし、こんなカバンを自分の一部として持たせてたの?なんか、わざわざ、完璧にきれいになろうとしないためにやってる気すらしてくる。

ぶち抜けて綺麗になることを防ごうと。

どうしてかはよく分からない。

 

だから、もうすんごい腹が立って。

それは、決めきらない自分に。

内容なんかどうでもいい。ファッションとか勉強とかもうなんでもいい。どうでもいい。

なんでもいいから、決めきって突き抜けてやり切れよ。それがないから、光らないんだ。それがないから、ないない、ないない、って人と比べてばかりなんだ。

 

順番が違うんだよ。自分だよ、自分。自分なの。自分を見ろよ。今日も孤独だった、と思っても自分を見ろよ。

そう思って、その足でカバンを買いに行った。買った。

クラッチバッグを買った。通勤によりふさわしくなくなった。チェーンウオレットに、クラッチバッグ。なめてんのか。

 

なんでそう思うの。TOTOバッグが真面目の証か。誰がきめた。まともなかっことか。

私は、かっこいい自分美しい自分を極めると決めたのだ。

 

ほんま中途半端や。ほんまクソや。

そんな自分で引き寄せたあらゆるものはいらんわ。

もうほんま、ぶち抜けろやなんでもいいから。