誰かを救う、救いたい、救える、救えない、救うとかじゃない、使命感という概念自体死ね、自分の思いを表出させること、そこがスタート。誰の役にも立てないと諦める。

結局、ここなんだ。

誰かを救いたいとか救うとかそのへんの概念をテロテロとはべらせてるのは、すなわち、「可哀想な誰か」を作り上げている、ということ。つまり、幻想。

 

可哀想な誰かのために自分が一役買ってやろう、みたいな。キモー

 

そんなインパクトがないと自分の価値を感じられないとでも思っているのかなんか知らんけど、どうしたん、いつからそうなってしもたん?

 

依頼者の方が問題が解決して喜ぶ姿が嬉しい、って、そうなんかなあ・・。

そもそも、その人、そんなに弱い存在か?

問題を問題視しない。というのは完全な概念にすぎないけど、私は、だれかの役に立とうとする自分は、どこまでも自分の無力さを受け入れられていないと思う。あくまで自分の場合。

 

私は、人の役に立つことをあきらめます。ああ、できない・・。いや、諦める。