夢とか希望とか目標とかじゃなくて、感じる。

なぜ法律を守る?なぜルールに支配される?

それは、支配される状態を選んでいるからだ。

 

私は、支配されるために、法律家になりたいのではない。

 

この世の中を味わいたいからだ。

 

この世の中の人と出会いたいからだ。

 

人を理解することなどできない。人が何を考えているか、感じているか、そんなことを共有することなどできないし、しようとする必要もない、と思っている。

そんなことよりも、共鳴すること、それが感動なのだ。

 

私は、既存の決まりなんかどうだっていいと思っている。実際、とても無頓着だし、お金にもルーズだし、興味もない。

しかし、人とのかかわりの中で生まれる感動、これがすべての源だと感じる。

その最たる場所として、私は、法律家を選んだのだと思う。

 

なんでだろう、なんでだろう、とずっと考えてきたけど、

考えるのではなく、感じる、にシフトしたとき、

腑に落ちた。

 

私は知ってたんだな。自分が最も感動する場所を知ってるんや。

 

だから、当然、合格する。

 

そして、どんどんタブーなるものに触れて、

自分の感動を、広げていく。

 

世の中をどうしたいとか、新たな問題提起をとか、判例を変えるとか、そんなん興味ないねん。

 

ただ、目の前の人間と共鳴する。それが、奇跡の始まりだろうと、予感している。

 

その人がどんなレッテルをはられてようと、私がはろうと、知らんがな。

 

そんなん関係ないやんけ。