なぜルールを守るのか

数日前に、同じ部署の人たちとお昼ご飯を食べにいって、そこで話していた時に、そのうちの1人が、「昨日定期を落としたのだけど、家にいたら鉄道会社の人から電話かかってきて、それで気づいた。びっくりした。」というような話をしていた。


そして、アフリカのどこどこでは、ルールは破ってなんぼだからね。ともいっていた。


そして、ふと、なぜ日本はこんな風になってるんだろうね、という話になった。なぜ、ルールを遵守することがある程度重んじられる社会になっているのだろうか。

それは、同調圧力やはみだしたら罰せられるから、とか、ルールを守るのが「良い」と教えられる洗脳だ、などと思っていたが、果たしてそうだろうか?


何となく、何かもっと上位の、何かがあるのではないかと感じている。

それは、法というものに対する私の冷めた意識とは裏腹に、そこに何かがあるという直観にも近い。表現できないけど、何か大事な何かがここにある。それは、今の自分には見えないし、言語化できない。ああ、くそう。


経験と試行錯誤と思考を重ねた先には、何かが見えるのかもしれない。


そもそも「解決すべき問題」というのは、誰が作ったものなんだろう。ただ、ルールさえみんなが守ってりゃいい、というのではない。そこには意思がない。


たしかに、物を盗まれたくはないけど、それを「問題」とすることで得られるものと、失われるものがあるのかもしれない。何にせよ、その二元論の評価から離れたところで、意思をもって行動することしかない。


何にせよ、それしか思いつかない現在。現場に出たい。昨日、夜中にとぼとぼ歩いて帰っていたら、すごい勢いのパトカーとすれ違ったのだが、なんだか武者震い?した。そっちに行きたいのか、行きたくないのか知らないが、なんにせよ、空想の世界から一刻も早く出たい。