集中すること

司法試験など、集中すれば受かるのに、自分は一体何をやってるんだろう。なぜ集中できないのだろう。あれこれ傷ついて恐れてしまい、何度読んでも理解できないのか。

私がこれまで何万回とやってきた思考はこれだ。

それが無意味だということも頭では分かっているし、その状態が集中していない、ということも分かっているから、自分を責めて、悪循環だった。

昨日試験を受けて、今日感じたことは、「できない自分はだめだ」という思考が集中しない状態を創り出している、ということだ。

そんなことも頭では分かっているはずだった。でも、どうせ自分はセルフイメージを変えられない、なぜなら自分はできないし、だめだから、とまで思い込んでいた。

私は、変わりたくなかったのだ。

なぜなら、変わるためには、できない(と思う状態の)自分を明らかにしなければならない。できない=悪、無価値、と思っている限り、その状態には耐えられない。

結局は、その思考のループを棄ててでも、これだけやってきたのにという執着を棄ててでも、自分がやり遂げたい、と思う対象がない限り、従来のループから出ないという選択をする(してきた)。

私は、もういやだ。できないことを隠す自分も、できないくせにできるみたいな顔する自分も、できないように見える他人を断罪することも、何より、毎瞬目の前のことに素直に全開でいられず、間違うことを改善のチャンスと喜べないことも、ほとほと嫌なのだ。全力で失敗したいのだ。

「できない自分はだめだ」を棄てたいのに全然できない自分はどうしたらいいのか、とずっと考えていたが、それを棄てずに済む場所にいることを選択し、自分を筆頭に、他人や環境や事象をずーっと批判して自分の安全を守りつづけているから、今の自分の状態をクリアに見ることができなかった。

ただ、心底自分に絶望し、変えられるのは自分しかいないと気づくことだった。そして、変わりたい、というか、ただ試験を全力でやり切りたいと心から正直に決めることだった。

集中はその結果自然についてくる、と思う。